はじめまして!ノリと申します。
プロフィールを覗いていただき、ありがとうございます!
ノリってこんな人って知ってもらえてお近づきになれたら嬉しいなと思っています。
在宅ワークで月収20万円を稼ぐことを1年後の目標に活動している40歳のワーママです!
現在の仕事はフルタイムの事務職で8年目。
派遣社員で月に手取り13万円稼ぐのがやっと。
派遣の契約はもうすぐ3年の節目を迎えます。
子どもは超活発な6歳の男の子と、プリンセスに憧れる3歳の女の子。
夫は同級生で工場勤務。毎日遅くまで残業して生活を支えてくれています。
こんなわたしがなぜ40歳という年齢で、ゼロからWebスキルを身につけようと思ったのか。
また、なぜ在宅ワークにこだわっているのか。
そのきっかけや経緯について、わたしの自己紹介を含めてすべてを書いていきたいと思います。
幼少期~小学校:しっかり者だから大丈夫
わたしは1984年に誕生した2,784gの女の子。
お家は、白い外壁にキャメル色の瓦がかわいいお花に囲まれた一軒家。
仕事熱心な父と、料理上手な母の4人兄弟の2番目として生まれました。
とにかくお乳をよく吐いてしまう子で、母は一生懸命お乳を飲ませたそうです。
その甲斐あってか、生後3か月目にして体重は7㎏超え。笑
誰の目から見てもわかる肥満児になりました。
近所の人からは、当時人気のあったお相撲さんになぞらえて
「こにしき」と呼ばれていたそうです。
あぁ、わたし太ってるんだ
3歳から保育園に行きはじめたわたし。
保育園が終わってからの楽しみは、母が作る美味しいおやつを食べること。
周りの子より自分が少し大きいことは薄々感じてはいましたが
ある日はっきりと自分が「デブ」だと自覚する日がきました。
保育園の発表会で「はだかの王様」をすることになったときのことです。
「王様は太ってるからノリちゃんが良いと思いまーす!」
他のおともだちや先生からも拍手が起こり、見事主役に抜擢されました。
はじめてお友達から「太ってる」と言われ、さらにみんなが賛同した。
その時のことは今でも鮮明に蘇る記憶で
「あ、わたしそんなに太ってるんだ。」
薄々感じていたことがはっきり確信に変わった瞬間でした。
年長児になるころには体重が30㎏を超えていたわたし。
結果的に王様役にはドハマりでした。笑
人生を変える引っ越し
そんなわたしが進んだ小学校は毎朝マラソンがありました。
体が重いわたしには地獄のような日々。
でも、つらい日々はそう長くは続きませんでした。
まだ入学して間もない1年生の6月に、親から転校することを知らされます。
父がガソリンスタンドの店長から独立し、自分の店を持つことになったからです。
「いぇーい毎日マラソンしなくてよくなるー」
というのが転校を知った時のわたしの感想でした。
太ってるし、かわいくないし、走るのもおそいし。自分に自信なんてひとつもなかった幼少時代。そんなわたしの人生はこの転校で大きく変化しました。
当時父は35歳。働き盛りでやる気も満々だったそうです。
引っ越した先はワンルーム
その頃に弟が産まれていたので、家族5人での引っ越し。
住むことになったのは、ガソリンスタンドの2階。キッチンとトイレが一緒になった18畳の一室でした。
専業主婦だった母は父のガソリンスタンドを手伝うことに。
父も母も朝から晩まで忙しそうに働き、夜ごはんは毎日夜の9時。
今までお休みにしていた日曜日も営業するようになり
父と母のお休みは、お盆とお正月だけになりました。
両親は毎日忙しく、わたしの誕生日はよく忘れられるようにました。
体調を崩した時は、病院に連れて行ってくれますが
「病院の先生のお話よく聞いて終わったら電話してね。のりはしっかり者やから大丈夫」
と、【しっかり者】という暗示をかけられ、1人で受診して終わったら病院の公衆電話で連絡するのが当たり前。
お友達からお休みの日にお父さんとお母さんとお出かけした話や買い物をした話を聞くのが嫌でした。
「わたしもお父さんとお母さんと買い物に行きたい」
「わたしの家はみんなと違うし変な家だ」
友達が羨ましい!と思う気持ちと、
自分の家は変だ!と思う気持ちで、
いつからか、わたしの心の中は両親への不満でいっぱいでした。
兄弟ゲンカはあたりまえ。
イタズラもたくさんしてよく叱られるようになりました。
その頃、母から言われてよく覚えているのは
「かわいくない子やね」
「そんな子に産んだ覚えはない」
「歯を食いしばれ」
という言葉。
そして、それと共に繰り出されるビンタ。
「こんな家に生れてきたくなかった!」
「誰も産んでくれなんて頼んでない!」
わたしも負けじとこの2つの決まり文句で応戦。
本当にかわいくない子です。笑
そんな卑屈な小学生だった私の将来の夢は「フリーター」でした。
言葉の響きが自由で楽しそう!と、ただそれだけで憧れたんです。
【身を粉にして働き、子どもの成長もろくに見てくれない親のようにはなりたくない。】
きっと、そんな反発の気持ちもどこかにあったのだと思います。
デブからの卒業
月日は流れ、3年生になったある日のこと。
仲良しのお友達からこんなお誘いをうけました。
「お父さんがバスケットボール教えてるから一緒に習おう」
なんだか楽しそうだと思いました。
習い始めたバスケットボールはというと、めちゃくちゃ辛かったです。
太ってるから、他の子たちより断然つらかったと思います。
平日は週4日練習があり、週末は必ずと言っていいほど練習試合や合宿や大会がありました。
親と出かけることがほとんどなかったわたしにとって、つらい練習があっても週末いろんな場所に行ける楽しみがバスケットを続ける意味でした。
そんなふうに、ただ「行ける場所があること」が嬉しくて続けたバスケ。
気がつけば、5年生のころには、体重が人並みになっていました。
今まで学校の体重測定で「ふとりすぎ」の判定だったのが
「普通」の判定になった時は、まともな人間になれたような気がしました。笑
コツコツがんばったら成果が出ることを人生ではじめて実感したこの頃。
気持ちも前向きになりとても楽しい毎日。
痩せてると誰もわたしを馬鹿しない。性格は更に明るく前向きになりました。
中学~高校:抑えられていた気持ちが反抗へ
中学生になり部活はそのまま女子バスケットボール部に入りました。
中学のバスケ部はかなり厳しい顧問の先生だと有名で、部活以外の生活態度も厳しく見られと聞いていました。
なので入部するのは正直いって苦渋の決断でした。
女子バスケットボール部
まわりの部活からみても群を抜いて厳しい練習。
髪型も刈り上げのショートカット。
いつも汗だくで「ゼェゼェ」言ってる女子バスケットボール部の練習は本当につらかった。
男子が陰で「女バス」ならぬ「女ブス」と呼んでいたことを知ったときはショックでした。
中学校3年生で最後の試合に負けて引退となった時は、悲しさや寂しさの中にも
「つらい練習とさらばだー」と解き放たれたような嬉しさもあった事を覚えています。
お金を稼げることの喜びと親への反抗心
高校に入学すると同時に親に頼んで頼んで「お願いします!」と頭を下げて、当時みんなが持ち始めた【携帯電話】をなんとか買ってもらいました。
ですが、携帯料金は5,000円までと制限をつけられ、超えた分は自分払う約束です。
お小遣いは3,000円。どう考えても遊ぶお金が足りない。
オシャレもしたいし、恋もしたいし、遊びたい!
考えた結果、「お金がないなら働こう!」と思いました。
毎日働く両親をみて、働くことに全く抵抗がなかったわたし。
部活をやめて高校1年生の夏からバイトをはじめました。
親からは「門限18時」と言われていたのでバイトも反対されました。
でも、自分のお金を自分で稼いで何が悪い!と強行突破。
当然、門限も守ったことはほとんどありませんでした。
自分で稼いで自分で使える喜び
コンビニでバイトをして月に5万円くらい稼ぐことができました。
バイト代をもらったらすぐに友達と電車に乗って買い物に行き、服や靴を買いました。
自分のお金で自分の好きなものが買えることがとても嬉しかったのを覚えています。
寿司屋でもバイトをしました。
巻きずしを作るのが得意だったわたし。
具が一番真ん中にくる!ということで、店長から「高校生№1!」と呼ばれていました。
がんばったら認めてもらえる。それが本当に誇らしくて、心から嬉しかったです。
このころはバイトばかりしてたので、ヒマをしている友達に「バイトばっかりして、ノリは金の亡者やな」と言われたときはショックでした。
でもお金を稼げることがとにかく嬉しくて楽しい高校生でした。
就職一択
その頃、父のガソリンスタンドは、だんだんと従業員を雇えなくなり母と二人で切り盛りする状態。
加えて、3つ上の兄が大学に行ったので、きっとうちの家計は苦しいだろうなと想像していました。
ゆえに高校卒業後のわたしの進む道は就職一択です。
親に頼らずもっと自分でお金を稼いで、もっと自由にお金を使いたいと思う気持ちが強くなっていました。
就職一択!と意気込んで入社したのは【ゴルフ場】で職種は【キャディさん】でした。
ゴルフ場で働きたかったわけではなく、成績が良くなかったので他の選択肢がなかったというのが正直なところです。求人票の給与面だけをみて決めました。
社会人:稼いで稼いで稼いでやる
キャディさんの仕事は体力を使うとともに富裕層への接客でとても気を使います。
ですが、自分の家が自営業で【お客さん】の存在に抵抗がなかったわたしはコミュニケーションをとることが得意でした。
よく分からないおじさんギャグに全力で愛想笑いし、若さだけを取り柄に広いコースを駆け回っていたら、体重は一気に5㎏減。
でもバスケをしていたし、高校時代はママチャリで駆け回っていたので体力はありました。
キャディという仕事は朝早いけど終わるのもわりと早かったので
わたしは「まだ働けるな」「まだ稼げるな」と思っていました。
そんなある日、キャディでついた派手なおばさんに「うちのお店で働かない?」とお誘いを受けます。
夜のスナックのお仕事でした。
夜も働ける!その手があったか!と思いました。
そこから昼はキャディ、夜はスナックのWワークがはじまりました。
夜のスナックは時給が破格の1,800円!
(高校時代は最高時給670円)
さらにお客さんが指定してくれたり自分がドリンクを飲めば時給は軽く2,000円超え。
若くて元気な女の子の加入で指定してくれるお客さんもたくさんつき、お財布にはどんどんお金がたまり、笑いが止まらない状態になりました。
でもそんな働き方は長くは続きませんでした。
お金がいくらあっても自由に使うひまがない。
挙句の果てに体を壊しました。
夜中まで働き、早朝から広いゴルフ場を駆け回っていたら
いくら若くても限界がくるものです。
「この生活を続けていたらだめだ」と思いました。
まともに働くか
そこで土日祝日がお休みの普通の会社で事務の仕事をすることなったのが23歳の時。
夜のアルバイトもやめました。
はじめての事務のお仕事でしたが、パソコンが苦手な方がまわりに多く、どんどん仕事を覚えていくわたしは重宝されました。
他の人が苦手に思うことを率先してやって「助かった」と喜んでもらえることがとても嬉しかったです。
ですが再就職した先は求人票を見る限り分かりませんでしたが自転車操業。
言い換えれば火の車でした。
がんばって働いても給料日に給料が振り込まれていないことあり、ボーナスもいつしか自然消滅。会社に対して不信感がつのりました。
加えて、お金に余裕のない会社は人間関係もギスギスさせるのでしょうか。
複雑な人間関係で誰が敵で誰が味方かわからない。
そして、そんな面倒な人間関係にいつからか巻き込まれ、仲良くしてくれていた先輩も気づけば敵となり、ある日からわたしは標的にされていました。
「あの子、社長から特別に給料いっぱいもらってるらしいよ」
「あの子、わたし社長にかわいがられてるから!って言ってるらしいよ」
根も葉もない噂が広がり、わたしはその会社で人間関係の難しさを痛感しました。
バランスってむずかしい
土日祝日関係なく働いて稼ぐことに夢中になって体をこわしたから、お休みがしっかりある普通の会社に入ろうと思っただけなのに、人間関係や給料の面でこんなに苦しむなんて。
一生懸命働いてもいじめられて、変な噂を立てられて悔しい日々。
まともに給料もくれない会社で、こんな思いをしてまで働く意味がわからなくなり辞めてしました。
そこからわたしはフラフラしはじめます。
とりあえず、働きたくなくて職業訓練で農業を学んでみました。
農業を学びに行った訓練校でしたが、講師の方にこんな質問をされ、心に残っています。
【あなたにとって働くとはどんな意味ですか?】
わたしは「お金!」と即答しました。
でも講師の方の回答は違いました。
【働く(はたらく)の語源は 傍(はた)を楽(らく)にする】というものでした。
その言葉はスっとわたしの心に刺さりました。※諸説あると思います。
「傍の人を楽にしてあげよう」
そんな優しい気持ちでみんなが働いたら、足の引っ張り合いは起きないはず。
そんなことがあった職業訓練の後もわたしはフラフラし続けました。
海の家でバイトをして、海が好きだなーと思って、友人とハワイ旅行へいってみたり。
冬は毎日スノーボードしてたいなーと思ってスキー場で住み込みのバイトをしてみたり。
でもやっぱり誰かの役に立ちたくて保険会社で働いたけど、また人間関係で苦しんでみたり。
一人の空間が欲しくて、はじめての一人暮らしをしてみたり。
気持ちが動くままにフラフラしました。
そして気が付いたら、年齢は30歳で貯金ゼロ。
ヤバイと思いました。
そんな、貯金もない30歳のヤバイ女をお嫁さんにしてくれたのが、当時付き合っていた今の夫です。
自由奔放に生きてきた娘を「嫁にください」と挨拶にきた今の夫に、わたしの父が放った一言は「返品するなよ!」でした。笑
派遣社員という働き方
仕事しようにも、入社してから人間関係に苦しむの嫌だなーと思ってた時に、派遣社員の働き方を知りました。
更新なので、人間関係が続けられないような会社なら「更新しません」と断るだけで良い。
それはわたしにとって最大のメリット。
最初の派遣先は、ダイレクト損害保険のテレオペレーター。
電話をしてきてくれた人の疑問に答える仕事がわたしは単純に好きでした。
「ありがとう」「あなたと話せてよかった」という言葉は励みになりました。
なにより、誰かの役に立てていることが嬉しかったです。
また、その仕事を通して学んだ
【接客は鏡】ということを何度も体験したことで、わたしは大きく成長できたと思います。
わたしの出方次第で電話の向こうの相手は良い方へも悪い方へも変わる。
これは人間関係にも同じことが言えると思います。
20代でそれに気が付いていたら、あんなに人間関係には苦しまなかったかもしれません。
仕事をがんばりながらも、結婚したらあたりまえに子供を授かると思っていました。しかし一向に子どもを授かる様子はなく、不妊治療もうまくいかず泣きながら病院を出たことも。夢のマイホームを建てて引っ越した先で、また派遣社員として事務の仕事に就き、このまま夫と共働きで仲良く暮らしていくのだと思っていました。
40歳からの挑戦!今やらなきゃ未来は何も変わらない
そんなわたしも、ありがたいことに今では2人の子供に恵まれています。
子供が産まれる前は、カワイイわが子と思いっきり楽しく遊ぶママになる!
家事も仕事もしっかりこなして育児も楽しくできる自信がありました。
そんなこと、みんなやってるからわたしも余裕!
でも、現実はわたしの想像をはるかに超えて大変でした。
✅仕事に遅刻しないように朝はのんびりな子供にイライラ
✅片づけてもすぐに散らかる部屋を見てため息をつく毎日
✅仕事はがんばった分、頼りにされ忙しくなるけど、給与は上がらない
✅仕事は山積みなのに子供はよく熱を出す
✅職場に「子供が熱を出したので休みます」という電話をするのがストレス
そんな毎日が通常運転。
それに加えて…
妊娠と出産で体系はまたデブに逆戻り。
低下した体力から起こる体調不良。
自分の体をケアする余裕なんてない。
なんてリアルでは誰にも言えない。
子供の泣き声を聞くと
と思いました。
そんな思いでいた新米のママだったわたしの意気込みはどこに行ってしまったんだろう。
時にはイライラを押さえられず大声で怒鳴りつけて大泣きする子供と一緒に泣くこともありました。
わたしは子供が大好きです。なんでも応援できる母でありたいと思っています。
なのに感情がついていかない。
幼児虐待のニュースも一歩間違えばわたしが容疑者かもしれないとまで思いました。
自分の機嫌は自分でとらないと。
自分が親になってやっと気がつきました。わたしの父と母も一生懸命わたしたち4人兄弟を育ててくれていたということに。
母はどんなに忙しくても必ず手作り弁当を持たせてくれた。父は毎日働いて、わたしたち兄弟一人ひとりに部屋がある大きな家を建ててくれた。
わたしはしっかり両親の愛に包まれて育ったんです。
在宅ワークとの出会い
そんな時、なにげなく見ていたInstagramでフリーランスという言葉が目にとまりました。
調べていくうちに、在宅ワークという働き方で場所と時間にとらわれず自由に働いている人たちがいることを知り、とても魅力を感じました。
・通勤時間も勤務時間もない、時間と場所にとらわれない働き方
・子供に合わせたスケジュール調整ができる
・長年携わってきた事務仕事で役に立てる
家にいながら仕事ができたら、家事と育児とのバランスもとれるかもしれない!
わたしは今、在宅での働き方に希望を見出しています。
そこでわたしは、ゼロからWebスキルを身に付けることにしました。
わたしの目指す未来は
「Webスキルを身に付けて在宅ワークで月収20万円稼ぐご機嫌なママ」になることです。
なんて思う方もいると思います。
わたしもまだこれからなのでわかりません!笑
ですが、現実に在宅ワークで0からスキルを身についてている先駆者がたくさんいることは事実です。
わたしは先駆者がたくさんいるスクールに身を置きました。
先に言っておきますが、怪しいスクールの勧誘ブログではないです!笑
このブログはわたしが挑戦して成長していく過程をリアルタイムで発信していく、成長ブログです。
そしてわたしと同じように家事と育児に疲弊して働き方に迷っている人、在宅ワークをはじめたいと思っている人へ、わたしの経験談をもとに発信をしていきたいと思っています。
最後に
人生を振り返り、わたしは改めて自分のこれまで大切にしていた価値観に気が付きました。
✅自由でいられることを大切にしたい
✅人生を楽しむことを大切にしたい
✅自分がしたことで誰かの役に立てたらうれしい
子どもが産まれてからはつい自分を後回しにして、自分の気持ちにフタをして耐えてきました。
世の中にはわたしのように自分の気持ちを犠牲にしているママがたくさんいるんじゃないかと思っています。
🌹一度きりの人生今のままで良いの?
🌹ママだって自分の時間をあきらめないで
🌹子供もきっと心から笑ってるママが好き
ご縁があってこのブログを読んでくださっているあなたへ
このブログは、少し前のわたしのように一歩踏み出せずにいる方へ向けて発信していきます。
わたしと同じステップを踏めばWebスキルを身につけ在宅ワークへ一歩踏み出せるよう、わかりやすい言葉で発信します。
在宅ワークで自分のご機嫌をとって子供たちと笑顔あふれる未来を一緒に目指しましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。